- 家 族1 -

ガンコじじい


うちの祖父はとても気むずかしく変わった人で、お嫁にきた母は数十年間ずっとふり回されて苦しんできた。

しかしあるとき突然、好きな指輪でも買えといって母に150万円をポンと渡し、みなには内緒だと強く口止めをした。

しばらくして祖父は急に具合が悪くなり、皆が驚くほど、あっという間に他界した。この話は5年後の法事で母がそっと教えてくれた。

(システムエンジニア/男/27歳)

モドル


私の母はいま腰の治療に通っています。視力もあまりよくありません。だからなるべく私が家事を手伝っています。その母がある晩、針に糸を通してと部屋にやって来ました。

もう寝る時間なのに何を縫うのだろうと思ったら、私のズボンのほつれを直すためだったのです。それくらい自分でできるし、縫い物なんてしなければすぐ床につけるのに。

私のためという気持ちが嬉しかった。母はいつでも子供のことを考えていてくれるのだとしみじみ思いました・・・。ほつれは自分で直しました。

(みづき/女/22歳)

モドル

外国人の家族


スーパーの遊び場で女の子が泣いていました。母親がいなくて泣き出したのだと思います。そこに外国人の家族がやってきました。

その家族は心配そうに、小さな女の子に話しかけました。でも女の子は泣き止みません。するとその家族の子供が「一緒に遊ぼうよ」というように女の子の手を遊具の方へ引いて行きました。

その仕草はとても自然でした。この家族はいつもこんな風にさりげなく、人助けをしているのだなと思いました。

(もものびんづめ/女/26歳)

モドル

田舎へ


入社1年目のゴールデンウィークの数日まえ、すでに東京に所帯をもっている中年のサラリーマンが話をしてくれた。

そのひとは毎年ゴールデンウィークなると一人で車に乗り、どんなに渋滞しようがなんだろうが、かならず九州の田舎にまで帰省をするのだといった。

田舎では年老いた一人ぐらしの母親が、年にたった一度だけ息子にあえるこのゴールデンウィークを、好物のごちそうをたくさんつくって静かに待っているのだそうだ。毎年この時期になると、なぜかその話を思い出す。

(脱サラ/男/32歳)

モドル

東京ディズニーランド


上京して1年目のゴールデンウィークに、田舎の母を東京ディズニーランドへ招待しました。東京の混雑はひどいので、軽装で来るようにと何度も伝えました。

しかし、待ち合わせの東京駅にあらわれた母は大きなカバンを持っており、小柄なので案の定、人の波にもみくちゃにされていました。僕は怒り、母はしかられた子どものように照れてだまっていました。

けれども僕の部屋に着いてから、母がそのカバンから重そうにとり出したのは、母の手作りの梅干でした。大好物のそのおおきなビン詰めを見て、こんどは僕が言葉をうしないました。

(会社員/男/24歳)

モドル

母に感動


駅前で母とバスを待っていました。すると杖をついている目の不自由な人が、横断歩道のあたりでオロオロしていました。「あの人きっと道がわからないんだわ。なんで近くの人は助けてあげないんだろう」と母。「大丈夫だよ。いいんじゃん」と私。

母はそのあと「ちょっと行ってくる」とすぐに走っていき、歩道まで支えながら道案内をして、駅までつれていってあげました。

簡単なことなのに、人を思いやったり助け合うことがどうしてできないんだろうと思い、自分の言ったことが恥ずかしくなりました。母のように、率先してそうできる人になりたいです。

(敦子の娘の典子ちゃん/女/19歳)

モドル

あの人どうしているだろう


お正月、いつもどおりなぜか両親と三人で神社へ。すごい人手で並んでいる間も私はイライラ。なんとか順番が回ってきて、私と父は後ろにつづく人たちのことを考えて、手短にお参りをすませて脇へ。ところが母がまだ手を合わせている!

やっと気がすんだのか、母は長いお参りをおえて父と私のもとへ。私は怒りが爆発して「いつまで手あわせとんねん!アホか!一緒におるほうが恥ずかしいわ!」と言いました。母があやまっても、私はまだ怒りがおさまりません。

でもそのとき、私の横を通りすぎる女性が耳うちをするようにこう言いました。「あんたの幸せを祈ってはったから長いことかからはったんやで。」

(おけいはん/女/24歳)

モドル

祖母の一生


僕の祖母は田舎の村から町の大きな商家に嫁いだ。田舎娘だと皆にこき使われつづけた。そして戦争の空襲で焼けだされ、乞食どうぜんの生活も体験した。

そんな祖母は僕にとてもやさしかった。どんなに悪いことをしても絶対に僕の味方で、いつもかばってくれた。それは両親もあきれるほどだった。

祖母の最期はガンだった。髪は抜け、体重は20キロをきった。祖母の一生は厳しくて悲しかった。でも誰をうらむということもなく「幸せは自分でつくるものだよ」そう言い残して死んでいった。

(営業マン/男/29歳)

モドル

入学祝い


高校の入学祝いに、父が私の欲しがっていた腕時計を買ってくれた。だけど反抗期の私は「ふーん」と一言いっただけだった。

そのとき母が急に「お父さんが一番喜んでるのよ!」と泣き出した。父はうつむいていた。私は自分の部屋ですこし泣いた。

(折伽涓折イ/女/25歳)

モドル

あったかい一言


私は小学生の頃、クラスの男子に「ブス!ブス!」といじめられては泣きながら帰っていました。母にどうしてこんな顔に生んだのかと八つ当たりをしました。

すると母は「世界中のみんながあんたのことをブスだって思っても、お母さんは世界中で一番可愛い、愛らしい顔しとるて思うよ」また「20歳までに顔で文句言われたらお母さんのせいばってん、20歳過ぎてからの顔は自分で作りなさい」と言っていました。

自信を持って生きている人の顔はそれだけで美しいのだと思います。さて、今の私の顔はどうなのだろう。どちらにしても、自分から発する輝きは失いたくないと思います。

(うだだん/女/29歳)

モドル


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